コロナ禍における「オープンソース」のキーワードは「共有」すること

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Linuxは、れっきとしたオープンソースのOS。

誰もが無償で利用できるため、筆者のように次から次へと新たなOSを試すことができる。また、オープンソースはセキュリティ面でも優れている。

そして今、時代は「独占」から「共有」へシフトしてきている。

ITの世界だけではなく、コロナ禍の現代において、オープンソースのキーワード、「共有」がスタンダードになってきた。

オープンソースとフリーソフトウェアの違い

最初に、「オープンソース」の定義から。

オープンソースとは、ソースコードを商用、非商用の目的を問わず利用、修正、頒布することを許し、それを利用する個人や団体の努力や利益を遮ることがないソフトウェア開発の手法。

「ウィキペディア」より

つまり、無償であることが絶対条件ではなく、ソースコードを「オープン(誰でも見る・修正する・配布する)」にしていることが基本となる。厳密には、オープンソース・イニシアティブという組織により、「オープンソースの定義」が掲げられている。

例えば、Githubというサイトをご存知だろうか。

Githubは、ソフトウェア開発のプラットフォームで、ここにはあらゆる種類のソフトウェアのソースコードが公開されている。そして、世界中のプログラマーが、そこにあるソースコードを自由に閲覧できるので、もしバグがあれば誰かがすぐに修正することができる。

つまり、世界中のプログラマーが、あらゆるソフトウェアのセキュリティを保持できるということ。

一方、フリーソフトウェア財団が掲げる、「フリーソフトウェア」。

フリーソフトウェアの定義は以下の通り。

ユーザーがどのような目的に対しても実行することを許可し、また、プログラムについて研究したり、変更したり、それを配布したりする自由も認めることを条件として配布されるコンピュータソフトウェアのこと。

「ウィキペディア」より

「ん?オープンソースとフリーソフトウェアって、同じじゃない?」

と思う人もいるだろう。実は、筆者もよく区別することができない。

どちらも「変更」「配布」することは自由だし、RedHatのような有償のOSがあるように、どちらも必ずしも無償ではない。無償のソフトウェアは、別途「フリーウェア」として区別されている。

つまり、

「オープンソース」はソースコードがオープンであること、「フリーソフトウェア」は自由に利用できるソフトウェア

というのが結論のようだ。どちらも組織や財団で定義されているため、お互いを認めたがらないのだろう。

ちなみに、「フリーソフトウェア」という言葉は、「オープンソース」という言葉が生まれる前から存在する。

キーワードは「共有」

紛らわしくなるので、やはりこの記事のキーワードとしては「オープンソース」を中心とする。

台湾のオードリー・タン氏が、2020年に世界中を襲ったコロナウィルス予防のため、マスクの在庫システム・アプリをオープンソースで作成したことは、記憶に新しい。

実は、彼はフリーソフトウェア・プログラマーで、パブリック・アクセスのためのフリーソフトウェアを開発し、台湾の新たな共有経済が実際に機能することを示した(一部ウィキペディアより引用)。

このことが何を示しているか?

20世紀までは、なんでも「独占」することが、市場での勝ち負けを左右していた。

「◯◯の独占販売」

「◯◯社と独占契約」

といった言葉は、随分と聞かれたことだろう。

かくいう筆者も、サラリーマン時代は、上司の言葉を真に受けて業界での「利権を得る」ことこそが、ライバル会社に勝つ方法だと信じていた。

最近では、アメリカのバイデン大統領が、コロナワクチンのレシピを「オープン」にすべきだと発言した。ヨーロッパの一部では、短期的には各国での対応が難しいとして、良しとしないようだが、長期的には世界中の利益(誰もが健康でいられること、それにより世界が元に戻ること)になることだろう。

つまり、オープンソースの概念は、単にITの世界だけではなく、あらゆるソースコードを「共有」することで、誰にも「利益」をもたらすことができるということだ。

ここには「独占」も「利権」もない。誰もが見ることができるということは、実はこれからの世界にとって、とても重要なことだと考える。

そして、日本の政府にも、是非この概念を持って欲しい。

今、日本の政治は、国民にとってわからないことだらけだ。国民の財産である公文書が、一部の政治家を守るため、あるいは利益のため、勝手に書き換えられ、消されている。

お隣の国、台湾が、「共有」することで開かれた政治ができているのだから、日本にできないはずはない。

人気のアプリもオープンソース・ソフトウェア

随分と外れてしまったが、実はオープンソース・ソフトウェアは、すでに身近なものになっている。

例えば、インターネットを閲覧する際使用するブラウザ。

これも、ほとんどはオープンソース・ソフトウェアである。あのマイクロソフトでさえ、Chromium Edgeによって、オープンソースへと舵を切った。

また、上述のGithubはマイクロソフト傘下となり、WindowsにLinuxカーネルを使用することで、オープンソースへとシフトしている。

あるいは、ブログ執筆に欠かせないWordPress。これも当初からオープンソースだ。

当ブログ内「Linuxでも使えるオープンソースの会計ソフトウェア「Gnucash」の使い方」は、とても使いやすく、会社の決算書類まで作成できる、優れもののアプリだ。

そもそも、様々なコンピューターの元となるLinuxカーネルも、オープンソースだ。

世の中のITは、すでにオープンソースで動いていて、誰も独占しようとしていない。

筆者は、アップグレードのたびに購入しなければならないWindowsのソフトウェアが経費の無駄としてLinuxに注目したが、もはやWindowsもオープンソースとなってきたのであれば、世界中が利益を「共有」できるようになってきたといって良いだろう。

まとめ

オープンソース・ソフトウェアに見るように、もはや時代は「独占」ではなく「共有」することが大切だということ。

共有することは、自分の利を失うことではなく、誰にも利をもたらすということ。

そして、この考えに追いついていないのが、実は日本だけという事実に気づいてほしい。

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