海洋プラスチック問題とスフィア基準に見る日本の現状

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スペイン・アンダルシア アルコス・デ・ラ・フロンテーラ

スペイン・アンダルシア アルコス・デ・ラ・フロンテーラ

海洋プラスチック汚染が問題になっている。気軽に捨てているペットボトルやストローが、海に棲む生物を危機にさらしている問題だ。

2018年6月、カナダで行われたG7シャルルボワ・サミットでこの問題を取り上げられ、いわゆる「海洋プラスチック憲章」が発表されたのだが、これに日本とアメリカは署名しなかった。

便利さゆえ、プラスチックの恩恵を多大に受けてきた日本が、今度はその恩恵ゆえに署名できないという、ゆゆしき事態だ。

しかしながら、この記事は海洋プラスチック問題をあれこれ検証するものではない。

旅行に携わる者から見て、日本がいかに便利すぎ、一方では劣悪な国なのかということを、海外へ旅行して肌で感じて欲しいと思う。

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日本ほど便利な国はない

ずいぶん前になるが、添乗員としてスペイン・アンダルシアへ出かけた時のことである。絵画教室のグループ旅行で、そのグループは筆者の顧客グループだ。

フランスへのスケッチ旅行が多かったそのグループが、目先を変えてスペインに出かけるというので、普段は参加しない人も参加して、けっこう大人数のツアーとなった。

もちろん、初めて参加した人もいる。

その中の一人は、海外旅行は何度か経験がありながら、アンダルシアの田舎町をめぐるスケッチ旅行という形態に初めて参加したようで、ある種のカルチャーショックを感じていたようだった。ツアー途中で、その人の口から思わず漏れた言葉は

「日本ほど便利な国はないよね」

だった。

スペインなら、バルセロナやマドリッドのような大都市ばかりを訪問するのではなく、アンダルシアの、それもちっちゃな村ともいえそうな町ばかり周遊すると、ホテルすらまともに確保できないことはざらである。

小さな宿泊施設はあるのだが、グループがまとまって宿泊できる大規模なホテルがない、ということだ。

やっとの思いで確保できたホテルに向かえば、日本人が必ずこだわる、バスタブ付の部屋は数部屋程度、グループのメンバー全員に割り当てることはできない。

トイレもそうだ。

今の日本では、どのホテルや旅館に行っても、温水シャワー付トイレが当たり前だが、これは一部のアジアの国を除けばほぼ日本だけだ。

ヨーロッパの、それも田舎町では、温水シャワー付トイレにめぐり会えることはない。女性用のビデがトイレの横にあるのだが、古いホテルでは、ホースがついたシャワーになっている。それが何のためにあるのか、なんで自分の部屋に2つもシャワーがあるのか、男性には理解しにくいだろう。

町中のトイレはもっとひどい。

トイレを借りたいがためにバルに入ると、ホテルよりもひどい設備のトイレがある。まず、便座がない。男性ならともかく、女性はどうやって用を足すべきか、悩んでしまうだろう。

また、日本ではどんなに小さな町でも、今やインフラのひとつとして機能するコンビニエンス・ストアが必ずある。しかし、一歩海外へ出てみれば、コンビニはおろか、いつでも自由に買い物ができる店はなかなかない。

スペインを例にとれば、シエスタと呼ばれる昼休みのため、だいたい午後1~4時半くらいまで、町中のショップはほぼクローズしている。空いているのは一部のバルと、ランチを提供するレストランだけだ。

そして、夕方涼しくなった頃、ショップは再び営業を始めるのだが、夜は結構早めに閉まってしまう。日本なら、夜中に小腹がすいたときにコンビニへ行って、食べたいものを買ったりすることが出来るが、夜中は町中がひっそりとしていて、空いている店は怪しい店しかない。

普段、日本での生活に慣れている顧客が、いきなりスペインの田舎町に出かけたら、確かに上述のような言葉を漏らしてしまうことだろう。

海外旅行は不便さを感じること

当たり前のように便利な生活に囲まれていると、日本がこんなにも便利なことをついつい忘れてしまう。

だが、ひとたび海外旅行に出かけたらどうだろう。スペインのような先進国でさえ、日本と比べたら上述のように不便なことだらけだ。

筆者は、「海外旅行=不便さを感じに出かけること」だと思っている。

ちょっと前まで、海外へ出かけたら、日本にいる人との連絡さえ大変だった。現在のように、どこでもWi-Fiが通じるわけではなく、ホテルに到着したら部屋の電話線をチェックして、インターネット接続が可能かどうか調べたものだ。

インターネットが普及する前は、日本と海外との連絡は、国際電話料金を節約するため、伝えたいことを紙に書いてファックスを送っていた。

上述のようなトイレのことにしても、海外へ出かけたら、日本のようにはいかないと割り切らないと、旅を楽しむ余裕など生まれない。

だが、ぬるま湯のような日本の生活から抜け出して、不便さや不自由さを感じることは、この先生きていく上で、とても必要なことではないかと思う。

いわば、海外旅行は様々なトラブルに対処できる臨機応変さを身に着けるための、自分に向けた人生の授業のようなものだ。

そして、不自由な中で見出すことができる、日本にはない素晴らしい風景や世界遺産に感動し、そして不自由さや不便さよりも、楽しく充実した毎日が待っていると思うと、やはり海外旅行は現代の日本人にとって必要不可欠なのではないだろうか。

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便利すぎる先進国日本が実は先進国ではない事実

便利すぎる日本は、同時に誰もが知っている先進国の一国だ。

しかし、ある観点から見ると、全く先進国とは言えないことが分かった。

先日の西日本豪雨災害における避難所の設定について、ウェブ上で結構話題になったから覚えている人が多いかもしれない。

それは、避難所についてである。

2次災害を防ぐため、避難所設置について赤十字が定めた国際基準「スフィア基準」というものがある。これは、

  • 1人当たり3.5平方メートル、天井の高さ2メートル以上、覆いがあるスペースでプライバシーを確保
  • トイレの数は男女比1:3
  • 災害発生後48時間以内に避難所を設置する

といった内容だ。

これに照らし合わせると、日本の避難所はソマリア以下だと登山家の野口氏も述べている。

便利すぎる日本で、避難所設置に何日もかかり、プライバシーも確保できないとは、なんということだろう。とてもではないが、先進国とは言えない。

今まで「便利すぎる日本から不便さ・不自由さを感じに海外へ出かけよう」と述べている自分が、海外の人から見ると、とても上から目線なことを述べているようで、恥ずかしく感じた。便利さばかり追求している割に、国際基準からはるかに低いレベルでしか、日本は対応できない国なのだ。

だが、恥ずかしさを感じているだけではいけない。日本の現状を平な目線で見つめ、そして海外へ出かけて、それぞれの国の現状を見てくることも、とても大事なことだと思う。

なんだか脈絡がない記事になってしまったが、結論を言えば、日本で生活しているだけでは「井の中の蛙(かわず)」なのだということを感じるためにも、やはり海外を見てくることは、とても重要なことだということを言いたいのだ。

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