仕事としての旅行の原点はあの航空機事故だった

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あなたの仕事の原点はなんだろうか?今の仕事についたきっかけでもいい、思い出してみよう。私の場合は旅行業で、この業界に入ったきっかけは大したことないではなかった。
中学生の頃に多少英語が得意なくらいで、将来の職業は大胆にも外交官などと言ってたこともあり、海外への憧れがあった。すぐに外交官は無理だと悟った後思いついたのが、旅行業界だ。何しろ、ただで旅行に行けるし英語の勉強にもなると、これまた大した理由もなく考えついた仕事だった。

その後旅行の専門学校に行き、旅行業取扱管理者(当時は旅行業取扱主任者といっていた)の資格も取り、気がついたら旅行の仕事に就いて30年以上たつ。今この仕事を廃業したら、他の仕事に就くことが出来るかどうか…。他の資格もないし、技術もない。しかし自分には天職とも思える旅行業を続けることができている。

よく好きだから仕事をするのか、それとも食べるために仕事をするのかという議論が持ち上がるが、自分にとってはいまだに「好きだから」続けていられるのだと思う。

最初は外交官、それが無理ならただで旅行できるという安易な発想で就いた旅行業を天職と思い、これまで続けられてきたのは何故か?それは、ただ「好きだから」というだけではなく、入社早々に起こったある事故がきっかけだった。そしてそれは、自分の旅行業としての原点にあたる。

1人で県内の航空券予約を担当した新人時代

専門学校を卒業後初めて就職した会社は、国内旅行を専門に取り扱う会社だった。地元では大手をしのぐほどの取扱数を誇るその会社は、県内にある小さな旅行会社をまとめて一つのグループを形成し、共同で集客して国内ツアーを催行していた。国内航空券の売り上げもそのグループの予約を一気に引き受けていたので、県内随一と言われていたほどだった。
入社早々配属されたのは、そのグループ会社全ての航空券予約が集中する航空券手配部門だった。それも専任の上司が自分の入社1カ月後には退職する予定で、その後は一人でその仕事を引き受けるというときだった。
退職する上司は1か月以内に自分に航空券予約取扱いの全てを教えなければならない。覚えるほうも必死だった。まだ一般企業のオフィスにはワープロと言われるようなOA機器しかなかった時代に、JAL、ANA両航空会社の予約端末を置いていた。それを使いこなせるよう特訓し、時間があれば両航空会社の支店の営業担当、さらには支店長にまで顔をつなぐために足を運んだ。一会社の新人が、時には大手航空会社の支店長と交渉をしなければならない立場におかれたのだ。

曲がりなりにも旅行の専門学校を卒業し、以前にもまして旅行に対する興味が湧いてきたころだった。だが、それでもまだまだ旅行業界に飛び込んだばかりの新人で、旅行業の何たるかを何もわかっていなかった。
直属の専任上司も退職し、いよいよ1人で航空券予約を引き受けてからは忙しさで目が回るようだった。ちょうどバブル時代へと進む国内景気がイケイケの時で、旅行需要も右肩上がりだった。航空予約が集中するゴールデンウィーク、夏のお盆のピーク時期の予約をどうにか一人でやりぬき、社会人になって初めての夏休みが来た。

あの航空機への予約を受けていた事実

夏休みといっても入社早々の新人が取れる休みと言ったら、週末を含めた5日程度のものだった。それでも地元の友人たちと久しぶりに会って、夜には近所の広場で花火をして楽しんでいた時だった。
父親が自分あてに会社から電話がかかってきたと伝えに来たので、夏休みなのになんだろうと思いながら自宅に戻った。受話器を取ると、

「大阪行きのJAL便が墜落したようだ。うちで予約した記録があるかどうか、至急調べたいので会社に来てくれ」

ということだった。何を言われているかわからないまま、すぐに着替えて会社へと向かう。何しろ国内航空券予約を取り扱っていたのは新人の自分しかいなかったので、自分が調べるしかなかった。
会社に到着するやいなや、予約カードを片っ端から見直してみた。「123便、123便…」、

あった…。

グループ内のいずれの会社からの予約ではなく、自分の会社のカウンターで直接予約を受けたお客様だった。すぐに上司に報告した。自分自身が予約したお客様が墜落事故に遭った、という事実はあまりにも衝撃だった。

翌日、JALの支店営業担当にそのことを伝え、搭乗者リストと照らし合わせてもらった。正確にはもう30年以上前のことなので、どう調べたかよく覚えていない。しかし、搭乗者リストにそのお客様のお名前は載っていなかった。
後でわかったことだが、予約カードに控えていたご自宅の電話番号に連絡してみると、直前に予定が早まったので1つ早い便に予約を変更していたとのことだった。しかし、123便に自分自身で予約を入れたことは事実だ。

生死にかかわる旅行業

捜索や報道に関わった人や、遺族の方への対応に関わった航空会社社員、様々な人たちの人生が変わってしまうほどの、航空史上最大の航空機事故だった。自分にとっては、旅行業に就いてわずか4か月での出来事だ。それにまさか一時でも自分がかかわったことは、その後の旅行業への取り組み方が大きく変わるきっかけとなった。

旅行業は夢を提供するばかりの仕事ではない、人の生死にかかわる仕事だ

旅行業は自身で旅行サービスを提供することがない代理店業でありながら、航空機、鉄道、バスなど移動手段を使い、宿泊でいえばホテルや旅館の火事、その他観光地での不慮の事故など、いずれも100%の安全が保証されたものではない。
事実、入社1年目はこの事故以外に、会社が関わった旅行で2件の死亡事故が起きている。1件はバス車内でのお客様の心臓発作。そしてもう1件は秩父夜祭へのツアーで、宿泊した旅館でお客様が転落死(酔って客室のテラスから落ちてしまったらしい)したこと。いずれも自分自身が添乗員として同行したものではないが、入社1年目にしてなんらかの形でこれだけ事故と関わっている。

その後会社を替わり、海外旅行中心へと仕事がシフトしていくと、ますます旅行が生死に関わることを重く感じるようになった。国内とは違い、海外での事故への対応は容易ではない。新しく入った会社の先輩からは、海外で遭遇した死亡事故の事例をよく聞いたものだ。保険会社の担当営業ともよく事故対応についての話をするようにもなった。
サラリーマン生活に終止符を打ち、SOHO旅行業で起業してからは、協会が主催する緊急重大事故対策セミナーや旅行医学セミナーなどにも定期的に参加している。いざというときにあわてることなく対応が出来るよう、自分に言い聞かせるためだ。

最初の話に戻るが、好きなだけでは仕事は続かない。それを教えてくれたのは、あの航空機事故だ。安易な気持ちで旅行業についた自分にとっては、その浮ついた考え方が180度変わるほどの出来事で、その後もずっと旅行業に向き合う自分の姿勢を正すひとつの指針となっている。
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