サウンドホールの匂い ~ 8 初めてのホール演奏

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フラメンコギター イメージ

ここまでこのシリーズを読んでいただければ、S先生のギター教室はいわゆる普通のギター教室とかなり違うということがわかってもらえるだろう。主催する音楽教室のメソッドは全く無視し、スペインへ留学してここまで培ってきた自分のギターの経験を惜しみなく生徒に教える。音楽教室が教材として販売する楽譜を使わず、年1回の発表会は教室が持っているスタジオ風の小ホールは使わずに自宅へ生徒を招き、そこで行う。生徒から見れば、音楽教室の売り上げに反することばかりしてだいじょうぶなのかしら、と時々心配になることがある。
しかし、常に所属する音楽教室を無視するわけではない。一応は音楽教室を運営する楽器メーカーのギターをセールスし、グレードテストについてもあることだけは生徒に伝える(それを受けるかうけないかは生徒の自由だ)。形だけは音楽教室の売り上げに貢献しているというポーズだ。レッスン後の喫茶店で聞くそんなS先生の、時にはコミカルな音楽教室とのやり取りの話は、聞いていて楽しい。

そして一度だけ、音楽教室の強力な勧めに負けて、自身の教室から選抜したギターカルテットを音楽教室が主催する総合発表会に出演させたことがあった。そのカルテットのメンバーの一人に筆者が選ばれ、初めてホールで演奏を行うことになる。

楽器メーカーが運営する音楽教室

およそ察しはつくと思うが、この音楽教室は日本のトップ楽器メーカーが運営する教室だ。ピアノやエレクトーンの販売・普及がメインで、それ以外にもギターからウクレレ、ヴァイオリンやフルート、果ては中国の二胡まで手掛けている。音楽教室は自社製造の楽器普及のため、またそれによって音楽を広める目的である。
新宿のとあるビルの1フロア全てを使った教室は、入口に受付があり奥に各楽器ごとの小さな教室がいくつもある。いつも同じ教室にしか行かないので、一体いくつの小部屋があるのかさえ分からない。
通常のレッスンのほか、各楽器ごとの発表会があるらしく、同じフロアにあるスタジオ風の小ホールがその会場となるようだ。また、楽器ごとにグレードテストがあり、グレードを上げていけば講師となることが出来る(らしい)。

このほか年に1度、各楽器教室の合同発表会がある。参加費を支払えば、誰でも音楽教室が用意した大きな舞台で普段のレッスンの腕前を披露できる。
しかし、S先生は積極的に生徒にこの合同発表会への参加を勧めることはしない。基本的に先生宅で行われるこの教室だけの発表会がメインなので、特に進める必要はないのだ。また、小さな発表会ならいざ知らず、大舞台で、それも多くの人前で演奏することなど、S先生のクラスの誰も慣れていない。
ところが音楽教室の上層部から、毎年合同発表会に少しでも多くの生徒を参加させるよう言われていたようだ。これも販売促進のひとつなのかもしれない。ある年、上層部の過剰なプッシュに負けて一部生徒を参加させることを引き受けたというのだ。

実はS先生のレッスンに通うようになって数年が過ぎた頃、なんとなくフラメンコらしき曲も弾けるようになっていた自分は、年1回の発表会のトリで演奏するカルテットの一員に選ばれていた。古株の先輩が弾いて衝撃を受けた「コーヒー・ルンバ」や「禁じられた遊び」で有名な「愛のロマンス」のルンバ・バージョンなど、教室で人気ある曲を四重奏で演奏するものだった。
他の3人はベテランにもかかわらず自分だけがまだまだ新人のため、本来ならとてもこのカルテットに参加するレベルではないと思っていたのだが、例の先生の楽観的な言葉に押されて根負けしたのだった。

そして話は戻るが、例の上層部からのプッシュに負けて参加させることを引き受けた先生は、自分を含めたこのカルテットを合同発表会に参加させようと考えたのだ。

四谷区民ホールでの合同発表会

新宿区立区民ホール : 施設紹介 : 四谷区民ホールのご案内
あるレッスンでのこと、合同発表会のチラシを見せながら先生は「参加費は私が払うから、いつもの四重奏のメンバーでこの発表会に出てほしいの。」といった。レッスンに通い始めてまだ4~5年の自分だ、こんな大きな舞台で演奏するレベルではない。

すぐに断ろうとしたが、すでに参加することを教室の上層部に伝えてしまっていたらしく、暗黙で強制的な参加だと感じた。それでも普段何かとお世話になっているので、他の3人が参加を了承するのなら、という返事をしたら、後日他の3人も参加を承知したため、あっさり結論は出た。

参加が決定したのは確かいつもの発表会が終わった5月頃、合同発表会は7月末だった。約2か月しか練習する時間はなく、普段のレッスンはこのための課題曲の練習に充てた。先生の希望で初めてこの発表会のために取り組んだ曲、ニーニョ・リカルドのファルーカ「アルモラディ」と、四重奏で弾いていた「愛のロマンス」ルンバ・バージョンの2曲を4人で弾くことになった。「アルモラディ」は4人のユニゾンで、「愛のロマンス」はいつもファースト、セカンドのパートに分かれて弾いていたのでその通りに。

メンバーのうち自分を含む3人は同じ楽器メーカーの音楽教室に通っていたが、レッスンの曜日と時間が異なる。そして「コーヒー・ルンバ」が得意の古株の先輩は、先生の自宅でのレッスンだった。当然4人で音合わせするには、レッスン以外にどこかで会わなくてはならない。普段四重奏で弾いている1曲はなんとかなりそうなものの、新曲はやはり合わせたい。そのため、みんなが集まれる日曜日に先生の自宅に集合し、そこで音合わせをした。それでも4人そろって音合わせが出来たのは、わずか2回だった。

先生の「イズム」

最後の音合わせで先生宅に集まったとき、本番に備えての打ち合わせが行われた。ここでもS先生の独特の「イズム」が発揮されることになる。

パコ・デ・ルシアをはじめ、スペインのコンサート・フラメンコのギタリストは演奏時にお決まりの衣装で演奏することが多い。それはフラメンコ・ショーのギタリストもほぼ同様で、白シャツにスーツ、出来れば3ピースのベストのみで上着は着ない。ちょうど以下パコ・デ・ルシア・オフィシャルサイトの画像のようなスタイルだ。

Inicio | pacodelucia.org
せっかくフラメンコを演奏するのだからこのような衣装で演奏しようという先生の一言で、音合わせよりもそちらに意識が集中してしまう。男性はこのイメージに合わせればよいが、女性はどうするのか?など、演奏のことよりも衣装の打ち合わせで最後の音合わせが終わる。演奏よりも衣装のことがとても気になっていた先生だった。

その頃自分は最新のデジタルビデオを購入したばかりだったので、当日の演奏をビデオに収めようと、そちらの用意も考えなくてはならなかった。ビデオ機器はあるが三脚がないとぼやくと、先生が「昔のカメラの三脚だけど、これ使えるかしら?」とたいそう古い三脚を持ってきた。なんでも先生の父親が使用していたものらしい。カメラと三脚の接続部分は、昔も今もさほど変わらないようで、最新のデジタルビデオにぴったりと合った。当日は自身のパートナーに撮影を頼んで、準備は完了。

そして当日、直接四谷区民ホールに集合した。すでに様々な楽器を持参した参加者がホールエントランスに集まっている。自分達もそれぞれ所有のフラメンコギターを持って集まり、入り口で受付を済ませるたのち、リハーサルの時間を待っていったん休憩。
リハーサルではマイクの向き、ステージ上での演奏位置等をチェック。PAシステムでの演奏は学生時代のバンド活動以来だ。その他ホールの広さ、音の反響具合、ビデオのセット位置を確認し、本番まで再び待つ。
先生の「イズム」に沿って、4人はそれぞれ用意した衣装に着替える。衣装、と言っても、ダークブルーのスーツを来ただけだ。女性メンバーはなんとなくフラメンコダンサーのようなドレスで統一したようだ。これには先生も満足したようだった。ついでに言えば、男性は右足を左足の上に載せて組んで、それこそ本場スペインのギタリストの演奏スタイルのようにするとよい、とまでアドバイスが出た。

そして本番。練習の成果が出たかどうかはわからない。思ったより走った演奏になっていたようだった。しかし後でビデオを見直すと、ちょっとしたミスはうまくごまかせていて、全体としてはまずまずだ。
S先生は長い間ずっと独自のレッスンをしてきて、発表会は全て自宅で行ってきたため、自身の生徒がこのような異種楽器どうしの合同発表会で演奏するといった経験はほとんどないようだった。しかし、フラメンコのメソッドについては絶対の確信を持って教えてくれるので、ある意味他の楽器をレッスンしている人に衝撃を与えるような演奏が出来たと思っているらしい。このときの自分達の演奏が、一般のギター教室でレッスンを受けている人達のレベルと比べてどれくらいかわからない。だが、S先生の企てはまずまずの成功裏に終わったと言える。

おまけ

筆者同様、クラシックギターやフラメンコギターの木の香りがたまらなく好きな人に見てもらいたい記事を紹介する。フラメンコギターの雄、Felipe Conde(旧Conde Hermanos)でギター作りに励む女性職人の記事だ。人生をやり直せるなら、こんなギター職人になってみたい。
伝統的なフラメンコギターを作る女性ギター職人の技術をおさめたムービー
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