サウンドホールの匂い ~ 6 宝物の楽譜

Classic Guitar
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S先生のギターレッスンは少々変わっている。他のギター教室で教わったことはないので他がどのようなものかわからないが、クラシックギターとフラメンコギターの両方を教えてもらえる、全国でも珍しい先生のようだ。だが、そんな先生だったからこそ生徒みんなに慕われ、そして自分も長く続けられたのかもしれない。

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手書きの楽譜

S先生は、若い頃スペインにギター留学し「現代クラシックギター奏法の父」といわれる、あのアンドレ・セゴビアのレッスンを受けたことが影響しているのか、楽器メーカー主催の音楽教室のメソッドなどは一切使わない。
また、そのメーカーの楽器を生徒さんに勧めることはなく、自分が信頼するギター専門店で購入することを勧め、音楽教室が認定するグレード試験も必要ないとおっしゃる。年に一度の発表会は音楽教室のホールを利用することなく、ご自身の自宅の広いとは言えない部屋に30人ほども集まって行う。

楽譜もそうだ。音楽教室で使用する教則本は一通りなぞるのだが、必要なところだけつまんで教え、その人の進行具合にあわせて飛ばしてしまう。そしてほどなく4冊ある教則本が終わると、生徒さんの引きたい曲の楽譜を入手してくれ、それでレッスンを続ける。だが、発表会で同じ教室の人達や先生の自宅レッスンに通う人たちの演奏を聴くと、自然と弾きたい曲は決まってくる。それは、先生がスペイン留学していた時に集めた楽譜の数々だ。

留学したのは1960年代と聞いているので、まだコピー機などない時代。S先生は教わった曲の楽譜のうちもらえなかったものは自分で五線譜に書き写し、もらった楽譜も含めて多数日本に持ち帰ったそうだ。クラシックはセゴビアが弾いたものが多く、またフラメンコはサビーカスなどのコンサート・フラメンコ(踊りの伴奏ではなくソロ演奏)の楽譜が多い。

教室に入ったばかりの時は楽器メーカーが発行する教則本で習っていたので読みやすい楽譜だったが、正直言って先生が書き写してきたという楽譜のコピーは少々読みにくかった。だが、教室の先輩方が弾いた曲はどうしても弾いてみたくなるので、読みにくさを我慢しながら弾きたい曲をリクエストしては、手書きの楽譜を含め実に多くの楽譜のコピーを頂いた。

今、どの楽譜を取り扱っている専門店へ行っても、このような楽譜は入手できない。万が一失くしてしまったら、先生からコピーを頂く以外二度と入手することもできない。
そう、S先生のギター教室をやめてしまった今では、失くすことが出来ない大事な宝物なのだ。
今でも楽譜を開くと、その曲を習っていた時のことや発表会でのエピソードの数々がよみがえる。読みにくい五線譜も今となっては懐かしいくらいだ。

そして自分がこの教室をやめることになった原因は、上述の通り先生が楽器メーカーの音楽教室に反するように独自のギター教室を行ってきたことに、間接的ながら関係している。それはのちのち書いていくことにする。
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会えなくなった人達

S先生は発表会後の打ち上げパーティーを含め、生徒さんたちと食事をしていろんな話をするのがとにかく好きだ。毎週のレッスン後に通う喫茶店でのコーヒータイムも、とても大事にする。そして時々、他の時間帯の教室の生徒さんたちとの交流の場として、食事会を催す。

一番下は高校生から上は優雅な年金暮らしの人まで、教室に通う生徒さんの年齢層は幅広い。またそれぞれの職業も様々だ。先生は、そんな人たちの話を聞くことで刺激を受けているのかもしれない。若い生徒さんだからといって軽く扱うこともなく、真剣にその人の話を聞いている。

そして異業種や年齢も違う人たちとの交流は、自分にとってもとても新鮮だった。仕事をしているときは同じ業界の人達とのつき合いに限定される。しかし、同じ趣味に出会った人たちとギターについて語り、そして一方でお互いの仕事のことから日々の生活の事まで、自分の知らない世界のことを聞くことが出来る。

こうしてS先生を通じ、今まで知り得なかった多くの人達との交流が広がった(と思っていた)。しかし、いつも教室で、また先生のご自宅で、あるいは先生主催の食事会でしか会うことがなく、お互いの連絡先を聞くことがなかった、あるいは聞く必要がなかった。いつでも先生を通して会うことができ、話すことが出来たからだ。

そう思っていたのは自分だけかもしれない。そして教室をやめてしまった今、あれだけ同じ趣味でいろいろ語り合い、一緒に食事をした人たちの連絡先を、自分はひとりとして聞いていなかったことに気付く。

今、自分には二度と入手できない大事な宝物の楽譜と、同じ時間を共有した人達とのつき合いを失ってしまったことによる喪失感の両方が共存している。

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コメント

  1. 先生を慕っていたことが伝わってくる、いい文章でした。

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